コラム

2006/06/30

記憶に残る無念の男(さ・AO)


▼群雄割拠する戦国時代、全国各地に綺羅星の如く数多くの武将が覇を競い合った。その中にあって、戦国最強と謳われた騎馬軍団を率いながらも、天下へ道半ばで倒れた男といえば甲斐の虎・武田信玄(晴信)。華々しい活躍の一方、「父追放」「子殺し」の2つの汚名が頭に浮かんでしまう

▼信玄の父・信虎は、所用で訪れた駿河の今川家からの帰途、国境で帰国を許されなかった。信虎は、今川家に食客する。今川側からすれば、体よく人質を確保したことにならないだろうか。信玄、駿河に侵攻となれば、父見殺しの汚名まで着ることになる。とは言え、信虎は今川家にあっても、息子信玄のために今川家臣団に対して、謀反を策動するなどの動きも見せる。後に駿河を追われ、京へ移ったという

▼また、信玄の子というと、四郎勝頼が浮かぶが、長男は正室・三条の方を母にもつ義信がいる。妻は今川義元の娘だった。義信は、妻の実家を攻めるという信玄の駿河侵攻に反対。天下統一という大儀の前には、武田家嫡男といえど抗うことはできず、信玄は「子殺し」の烙印を押された

▼また、信玄といえば対抗するのは、越後の竜、関東管領の名跡を継いだ上杉謙信。川中島の合戦として史上名高い。この、天才戦術家との数次にわたる合戦で、武田軍団は、戦国最強の域にまで精錬されたといっても過言ではないだろう。しかし、ここで信玄は大事なものを失っている。天下を目指すための貴重な時間だ

▼父追放、子殺し。そこまでしても、天下は遠かった。病には勝てず、天正元年没す。「無念の男」のイメージが漂うが、人々の記憶には残った。(さ・AO)

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