コラム

2009/02/28

陶器と樽・桶の関係(群馬・II)


▼先日、陶磁器専門店で伊万里焼は、有田焼や三川内焼、波佐見焼のことを言い、佐賀県の伊万里港から積み出された有田地方の陶器の事を、商人が「伊万里から来た」と説明したことから伊万里焼と呼ぶ様になったと教えられた。港から港へ、大量輸送を行っていたことから、名前が広まったそうだ

▼今でこそ全国的に広まっているが、昔は港のある沿岸部の町にしか普及していなかったという。内陸には、輸送中に破損してしまうので大名や豪商などの力が有る者しか所有できなかったそうだ。そのため、内陸部の群馬県では、なかなか見つからない。栃木県には益子焼はあるが、伊万里焼は同様に輸送の関係で広まらなかったようだ

▼内陸部で、日用品に陶器が広まらなかったのならば、何を利用していたのだろうか。それは、桶や樽などの木製のものだ。陶器の産地では、棺桶を陶器で造っていたことがあるので、身近で利用できる材質のものを選んだ結果なのだろう

▼日本の地形を見ると、内陸部には山があり、木を使った道具が発達する土壌があったのだろう。だが、技術を引き継ぐものも少なくなり、最近では工芸品・特産品として各地に残っているだけとなっている。山林整備や環境問題の観点からも、将来に残していくべき伝統ではないだろうか

▼過去から長い間使われていた道具は、豊富な資源と、地域に溶け込んだ優れた性能があったから生き残ることができたに違いない。たとえば民芸など伝統工芸品などの観点から見てみることで、今、起こっている問題を解決するための一助になる。改めて周囲を見ると意外と身近に豊富にあるかも知れない。(群馬・II)

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