コラム

2017/04/15

流れに任せて県政史(長野・JI)

流れに任せて県政史


▼市役所勤務の女性に昼食場所を相談すると、歩いて5分程度にあるカフェを薦められた。場所は「県庁跡」だと言うので、不思議に感じた。いま自分が立っているのは長野県中野市であり、県庁のある長野市ではない。なぜ中野市に県庁跡があるのか。疑問を投げかけると、女性は長野県になる前は中野県だったと教えてくれた。県外出身者としては驚きの事実だ


▼資料によると、明治元年に伊那県が設置されている。県庁は現在の長野県南部にある飯島町に置かれた。翌年、伊那県の分局が県北部の中野に置かれる。そして明治3年9月に伊那県から分県して中野県が設置された


▼県としてスタートした3カ月後の12月、世直し一揆(通称・中野騒動)で中野県庁は焼失してしまう。そして明治4年の廃藩置県により、県庁を善光寺町(現在の長野市)に移転して長野県と改称することとなった。中野県は、わずか11カ月の短命で消えていた


▼紹介されたカフェに行ってみると、店が開いていなかった。カフェの入る県庁記念館スタッフに聞くと、記念館が主催する展示会準備のため、カフェも「年に一度の特別な休日」らしい。建物内を見渡せば、確かに物があふれて雑然としている。困っていると、店のスタッフを呼んで特別に開けてくれた。好意に甘え、一番人気の焼きカレーを注文した


▼オーブンで焼かれたトロトロのチーズにスプーンを差し込むと、きのこがたっぷりと入った濃厚なカレーと長野県産米のごはんが顔を出す。ただの昼食が、県政史と信州人の優しさに触れる機会となった。紹介や好意など、流れに任せるのも良いものだ。(長野・JI)


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