コラム

2018/10/11

隈研吾氏の失敗と成功(埼玉・SW)

隈研吾(くま けんご)氏の失敗と成功


▼新国立競技場や山手線の品川新駅(仮称)の設計を手掛ける、日本を代表する建築家の隈研吾氏を取り上げたテレビ番組を見た。番組では隈氏のこれまでの失敗や挫折、成功を紹介していた


▼1990年代、バブル崩壊や独創的な自動車のショールームの設計を他の建築家から批判されるなど、東京での仕事が10年間無くなった。そんな中、高知県梼原(ゆすはら)町で公衆トイレの設計を依頼された。隈氏は梼原町の杉と出会ったことが「建築スタイルのターニングポイント」と話し、今でも「自分の家に帰る」気分で梼原町へ足を運んでいる。またトイレの上に『雲の上のホテル』を設計。「自然素材の木は人々に豊かな心を生み出す」と新たな可能性を感じたという


▼不遇の10年を乗り越えた隈氏はその後、愛知万博の会場計画プロジェクトのチームリーダーに起用された。しかし、自然保護団体の度重なる反対などで計画が縮小し辞任。作品を手掛けることはなかった


▼また、当初は応募条件から新国立競技場のコンペに参加しなかった隈氏。紆余(うよ)曲折の後、当初案が白紙となり、古い友人から激励を受けるなど一念発起して応募した。コンペに向けてヒアリングの練習う努力した結果、選定された。これまでの教訓として「失敗を次のステップの糧にできるか」を学んだという


▼収録中の隈氏は時折、ポケットに手を突っ込みながら話をしていた。恥ずかしさからか、出演者の中で最年長者だったからかは分からないが「やはり大物だなぁ」と感じた。残念だったのは、放送エリアが関東地区のみで、放送時間が深夜だったこと。多くの人に見てほしい番組だった。(埼玉・SW)


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