コラム

2019/01/31

思い出は宝物のように(茨城・RN)

思い出は宝物のように


▼梨木果歩著の『西の魔女が死んだ』の中に主人公の少女が祖母の家の敷地に球根を宝物を隠すように埋めたらどうかしら、と提案される場面がある。宝物を隠すように埋められた球根は、心の中にしまっている思い出と似ている。時折ふと頭によみがえっては自らを暖めてくれたり、鼓舞してくれたりするような思い出は宝物だ


▼小学生の頃の図書館での出来事。貸出の手続きがやりやすいだろうと思い、管理用バーコードが貼ってある面を上に揃えて本を窓口の人に渡した。受け取った係のおじいさんが「小さいのに偉いね」と褒めてくれ、そしておもむろにポケットに手を入れ「あめ玉か何か入ってたらあげたのに」と残念そうに言ってくれた


▼感心をわざわざ言葉と動作で表現してくれたことや、小学生の自分が親類や教師ではない大人にほめられたことが何よりうれしかった。リスクを恐れ、他人との関わり合いを避ける現代において、こういった何気ない日常のやりとりをできることがありがたいと感じる。長い人生を歩くためのお守りのようなものだ


▼うれしい出会いがあった場所には愛着が湧く。その思い出がある図書館は、今でもお気に入りの場所だ。人と人が出会い、関わっていくためには施設や土地といった場所が必要だ。私の場合それが図書館だった


▼今の仕事をするようになって、大切な思い出をつくってくれた図書館という場所がどう造られたのかということにようやく考えが及ぶようになった。ハコモノと批判されることもあろうが「場」が持つ力は大きい。出会いの場としての建物。それを造り、支えていくのが建設業だ。(茨城・RN)


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