コラム

2019/01/12

この世は演劇歌えや踊れ(埼玉・YM)

この世は演劇歌えや踊れ


▼卒業アルバムや昔の日記などを眺めていると「あの頃は阿呆(あほう)なことしてたなぁ」とわが身を省みることがあった。それと同時に「将来の自分が見たら、今の自分も十分阿呆に見えるんだろうなぁ」と頭をよぎり、思わず苦笑いしてしまった


▼「踊る阿呆に見る阿呆」で始まる歌は徳島県伝統の祭り・阿波踊りの出だし部分だ。そのまま「同じ阿呆なら踊らにゃ損々」とつながる。歌詞の解釈は諸説ある。ただし自分の意志とは関係なく起きる出来事に対し、笑うか悲しむかは受け止める人次第だろうと思う。どうせ同じ人生なら笑った方が楽しいに決まっている


▼ウィリアム・シェイクスピア原作の喜劇「お気に召すまま」に「この世は舞台、人はみな役者」というせりふがある。プロの俳優・女優はもちろんだが、一般人も仕事や私生活などで何らかの役を果たしている。意識の有無に関わらず役割を演じるなら、悲劇より喜劇にしたいものだ


▼劇は役者が演じるだけでは成立しない。コンサートで観客がアンコールして終わるように、観客が笑うことで喜劇になるように、観客もまた劇における演出の一部だろう。無観客の劇はとどのつまり練習であり、独りよがりに過ぎないだろう。同じ作品なら世に公開しない手はない


▼人生は演劇と違ってアドリブの連続だ。リセットボタンがないからこそ、将来振り返ると恥ずかしく思うことが少なからずあるだろう。人生においてどの選択肢を選んでも後悔がないように、その恥ずかしさを笑いに変えられるように演じたい。まさに「踊る阿呆に見る阿呆」。この世が演劇なら人前で「歌えや踊れ」。(埼玉・YM)


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