コラム

2002/10/17

新旧関ヶ原合戦(本・SY)

2002.10.17 【新旧関ヶ原合】

▼梶原拓・岐阜県知事の考えで施策の企画立案等について互いに切磋琢磨しようとスタートした「全国自治体・善政競争・平成の関ヶ原合戦」の参戦団体数が100団体を超えた。施策登録も1000件を超え、反響は予想以上に大きい。その分野も多岐の亘っており、ユニークなアイディアとして話題を呼んでいる

▼そもそも関ヶ原は岐阜県に位置し、東国と西国を結ぶ要衝の地。地方分権推進を舌鋒鋭く唱える梶原知事が「平成の関ヶ原合戦」を思いついたのはやはり地の利があったのだろうか。今のところ地元岐阜県の施策登録件数が一番多いが、他の地方の自治体からも優れた施策が出はじめており、今後の展開が注目される

▼現代の関ヶ原合戦も自治体の生き残りをかけた凄絶な戦いであるが、歴史上の「関ヶ原」は参戦した武将にとってまさに一族の生死をかけた戦いであった。先日NHKの歴史番組で放映された「島津義弘の戦い」は考えに考え抜いた戦法として後世に語り伝えるべきものである

▼東西両軍約16万という日本史上最大の合戦は豊臣方有力大名の徳川方への寝返りにより半日で勝敗は決した。敵に背を向けて敗走する豊臣方西軍。その中で陣構えを崩さぬ一隊があった。薩摩の島津義弘の軍である。総勢数百。これに対し前方の徳川方東軍本隊は約3万の大軍

▼「一番手強い敵はどこか」義弘は側近に尋ねる。側近が徳川部隊の中央を指差すと、義弘の決断は速かった。歴史上有名な「島津の敵陣中央突破」である。このあと義弘は数十に減った家臣とようやく薩摩にたどり着く。関ヶ原合戦の最終局面の撤退戦がその後の歴史を動かすことになる。(本・SY)

厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら