コラム

2002/12/14

年の瀬や、明日待たるる(本・SY)

2002.12.14 【年の瀬や、明日待たるる】

▼赤穂浪士の討ち入り前日の夜半、俳人の宝井基角と大高源吾が雪の降る両国橋で出会う。基角は句心が湧き、「年の瀬や水の流れと人の身は」と上の句を読み、下の句を相手にゆだねる。「明日待たるるその宝船」と俳人で四十七士のひとり大高源吾は上の句を受けた。有名な忠臣蔵外伝の一節

▼最近、「吉良の言い分」「吉良上野介を弁護する」など敵役吉良上野介側からの視点で江戸城松の廊下の刃傷事件から赤穂浪士討ち入りまでを描く本が出始めている。実際、江戸時代から「仮名手本忠臣蔵」など歌舞伎の脚本になり、今日に至るまで映画、テレビで放映されない年はないくらい普遍的人気を保っている事件だが、謎が多い

▼まず、松の廊下の場面。切り付けられた吉良は控えの間に運ばれ応急手当を受けるが、その際、幕吏の問いに「まったく身に覚えがない。乱心であろう」と応える。これに反し、浅野内匠頭は「遺恨覚えたか」と叫んで刃傷に及んだというが、目撃者が少なく真相は不明

▼次に、幕府の対応。刃傷事件の際は一国一城の主内匠頭に対し即日切腹という裁判もなにもない無法な仕打ちをしたにもかかわらず、月日がたつにつれて、今度は吉良に対し無慈悲な措置。吉良屋敷を江戸城の郭内から当時は郊外の湿地帯だった本所松坂町に移してしまう。討ち入り成功を願うかのようだ

▼第三に、吉良上野介の人となりである。地元愛知県吉良町の方は今でも「吉良様ほど立派な人はいない」と語る。事実、台風コースの同町のために治水に尽力し、「黄金堤」と称する堤防が今も健在だ。武士の礼法と公共事業に生涯をかけた人物である。(本・SY)

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