コラム

2003/06/10

風評被害ということ(水・YH)

2003.06.10 【風評被害ということ】

▼文字通り「地震、雷火事親父」は恐ろしい現象を4つ並べたことわざ。確かに恐ろしいには違いないが、近年、寂しい限りだが「親父」は説得力が無くなった。代わりに「風評」としたらいかがなものだろうか

▼1990年頃からマスコミに登場した新語らしいが、広辞苑によれば「風評」とは「世間の評判、うわさ」とある。ところが「人の噂も七十五日」とは大昔のことで、今日のようにコンピューター時代にあっては一瞬にして世界的な風評になるし、永遠にデータベースという形で残り蔓延し続ける

▼最近では新型肺炎(SARS)だ。一国の経済など簡単に麻痺させる。抜本的治療法が無い状況から、かつてのペストやコレラに共通する。観光に関する業界は軒並み窮地に立たされている。他にO157は埼玉県の農家に大きな打撃を与えた。狂牛病(BSE)は政府の対応が遅れ、まさに肉離れの社会現象を生んだ

▼茨城県東海村の臨界事故も記憶に新しい。当然汚染を懸念した消費者はのべつ茨城県内の産物を拒否した。大臣が乾燥芋や魚介類をマスコミの前で食したって、容易には払拭しない。目に見えない恐ろしい放射能が単純なバケツで処理されており、それを行政が見逃していた結果だ。頼るべき政治や行政への不信感が生んだ現象だ

▼建設業界などのダーティなイメージもこの「風評」に泣かされている。偏狭な考えの一部発注者の影響も大きい。確かに不良不適格業者はいるだろうが一蓮托生的発想はいかがなものだろう。業者は市民の足下を健全に整備する担い手であり、発注者はパートナーだ。皆、汗と土にまみれて一生懸命なのだ。(水・YH)

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