コラム

2003/07/05

超短編ドラマを見る(本・SY)

2003.07.05 【超短編のドラマを見る】

▼地下鉄日比谷線の東銀座駅だった。電車が止まり下車する人波が絶えたとき、車内から「落とし物ですよ」と言う声が聞こえた。見ると、中年の会社員だろうか、仲間の輪から跳び出し、赤いペンをつかんだ右手をいっぱいに伸ばした。ペンを落としたのにすぐ気がついたのだろう。学生風の女の子がホームから引き返してきた

▼2人の動きをさえぎるようにドアが勢いよく閉まり始めた。ペンを持った会社員が閉まるドアに突き進んだ。ホームの女の子も閉まるドアに手を伸ばした。ピシャンとドアが閉まる直前、ちょうどドアのところで2人の手がつながった。ペンが持ち主の方へ移った。この間ほんの2、3秒だった

▼ドアの近くで一部始終を見ていた数人の女性がワーッと歓声を上げた。閉まるドアと2人の手が座標のX軸とY軸のようにきれいに交差したのである。ペンが手渡されたのはちょうど原点0のところだった。2人の懸命な姿と幾何学的な美しさの両方に歓声を上げたのだろう。電車は何事もなかったように走り出した

▼ドアの外の女の子はお礼もそこそこに人ごみに消えた。車内の会社員もまた同僚と立ち話を始めた。いつもの何気ない車内風景に戻った。テレビのトレンディ(もう古い?)ドラマなら、何日かあと「あっ、あの時の」などと別の場所で偶然出会うが、現実の2人はもう会うこともないだろう

▼陸上の100m走はよく9秒何がしかのドラマと言われるが、ごくありふれた日常生活の中にほんの数秒単位のドラマがどこかに隠れているのではないだろうか。その大部分を見落として日々を送っているような気がした。(本・SY)

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