コラム

2003/10/08

原巨人軍監督解任(本・MM)

2003.10.08 【原巨人軍監督解任】

▼北島三郎さんが昭和52年に歌った「終着駅は始発駅」(佐藤たどる作詞・星野哲郎補作曲)の一節に『函館止まりの 連絡船は 青森行の 船になる 希望を捨てるな 生きてるかぎり』がある。1つのことは終わったけれど明日がお前を待っていると、新たな人生の始まりを歌ったものであろう

▼「私の夢には続きがある」と言い残して、原辰徳選手が現役を引退したのは平成7年のことだった。前年巨人は原、松井、大久保たちが活躍したものの、苦しい試合が続き、優勝を決めたのは中日との史上初の同率最終戦決戦であった。そして宿敵西武を倒して長嶋監督は初の日本1に輝いた

▼翌7年、原選手は「もうこれが限界」と言って15年間の現役生活に終止符を打った。夢の続きは指導者としてグラウンドに帰ってくることだった。11年にコーチとして復帰。14年に巨人軍監督に就任。セ・リーグ優勝を果たし、日本選手権でパ・リーグの覇者西武を4連勝で下し、新人監督として史上6人目の日本1に輝いた

▼その原監督が「人事異動」を理由に解任された。フロントと現場の対立の裏にOB会の派閥争いがあったと噂される。選手、監督時代に日本1を経験するや、翌年に引退の憂き目に遭遇。今季は大方の予想に反し阪神が独走した。日本1を勝ち取った実績が、残り10試合で打ち消される

▼高校時代からプリンスとよばれ、入団後もスター街道を走ってきた主軸が「自分が控えになって、控えの気持ちが痛いほど分かった」と語った。今回の解任劇の本音は、おくびにも出さなかったが、まだ45歳。歌詞は「どこからだって 出直せる 終着駅は 始発駅」と続く。(本・MM)

厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら