コラム

2003/10/22

次に見る時計台は?(前・KM)

2003.10.22 【次に見る時計台は?】

▼休日の昼下がり、札幌の大通り公園で焼きトウモロコシを売るおばあさんに声をかけた。「終戦後、生活の苦しい人は皆ここでリヤカーを引いてトウモロコシを売ってたね。今は屋台に変わったけど、あの時、背中におぶっていた娘はもう50を超えたよ」…

▼学生時代の友人の挙式で北海道へ。大通り公園から歩いて数分の札幌時計台は、人の往来が激しい交差点にあるものの、時代を象徴するコンクリートビルの谷間で寂しそうだ。「建設当時の面影は今も変わっていないのだろう」。時計台が周囲とは違った時を刻んでいることを知り、北海道の原風景がいかなるものだったか興味を持った

▼「赤れんが」の愛称で道民に親しまれている北海道庁旧本庁舎。米風のネオ・バロック様式の建物内には、北海道の生い立ちや歴史に関する資料を展示する開拓記念館がある。明治の初頭、北海道を訪れた米人開拓使は手付かずの土地を前にして、まず石狩平野を測量して区画図を作り、段階的に開拓のエリアを全道に広げて集落を計画するよう日本政府に助言したという

▼現在の札幌市を擁する石狩平野の開拓は、いわば北海道開拓のシンボル事業だったようだ。その後、農業技術者の養成を目的に来日し、札幌農学校(現・北海道大学)に赴任したクラーク博士は「少年よ、大志を抱け」と言い残し日本を後にした

▼帰りの空港行きの特急電車で、東京から旅行に来た初老の夫婦が隣に座り、人生観を話し始めた。奥様いわく「土地に執着せず歳とともに住まいを変えるのもいい」とか。話を聞きながら、住み慣れた土地を意識する今の自分と時計台が重なる思いがした。(前・KM)

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