コラム

2003/11/11

ホトケの木村(長・YK)

2003.11.11 【ホトケの木村】

▼私事かつ20年以上前の話で恐縮だが、筆者が学生時代、体育の先生で『ホトケの木村』と呼ばれていた柔道の先生がいた。体育の授業は種目選択制で、自分が選んだ種目(柔道なら柔道)を1年間やる−そういった制度。筆者は柔道を選択していなかったが、友人が柔道を選択していたため、時々道場に顔を出していた

▼筆者は友人と授業の前後にふざけて寝技の掛け合いなどして遊んだりしていた。道場でふざけているのが見つかれば、怒鳴られるのがオチだが、部外者の一般学生に先生は通りすがりに『オイオイ怪我するぞ』と苦笑するだけだった

▼木村先生が『ホトケの木村』と呼ばれるのは、学生に優しい(甘い)−というばかりではない。いつも静かに学生を見つめおり、怒りの感情は持ち合わせていない−そんな雰囲気を全身から醸し出していたからだと思う。先生が怒っている姿を筆者は見たことが無かった

▼自分のボンクラ加減を曝すようだが、その『ホトケの木村』が実は世間で『鬼の木村』とか『木村の前に木村無し』と呼ばれた稀代の柔道家だというのを知ったのは、卒業して何年も経ってからだった。真に強い男というのはああいうものなのか−とその時初めて気付いた次第だ

▼試合などでは『鬼』となるのに、普段は全く殺気だったものを見せない『木村』の遺伝子は、北斗の覇王と呼ばれた西良典氏(筆者が1年生の時4年生)や、西氏が開いた慧舟会所属の宇野薫氏(現在総合格闘家として米で活躍中)へと受け継がれているようだ。どんな企業でも、社風や得意分野の技術は間違いなく受け継がれていく。良いものを末永く伝えていきたいものだ。(長・YK)

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