コラム

2004/04/29

帝都東京地下の謎(本・MM)

2004.04.29 【帝都東京地下の謎】

▼民営化により東京の地下鉄を運営する帝都高速度交通営団が4月から東京地下鉄?となり帝都や営団の文字が消えた。愛称は東京メトロに。都営地下鉄とともに東京の地下鉄網の両翼を担う

▼埼玉、千葉、神奈川から都内への通勤、通学者らは300万人を超え、地下鉄は都心の渋滞解消に貢献。滞ると言えば、首都高の三宅坂ジャンクションの渋滞情報は消えたことがない。戦前、水道営団、住宅営団、重要物資管理営団と多くの営団があったが戦後解散。地下鉄営団だけが生き残った

▼戦前国策で「都心は国鉄、郊外は私鉄」とされ、地下鉄は私鉄に組み込まれたが、開戦直前に「空襲下の交通網整備を目的」に都心整備に充てられたため、ルートや駅構造に多くの謎を秘めていることも否定できない。防空壕を改築してできたとされる千代田線霞ケ関駅、東京ドーム直下を通り「柱の駅」の異名をとる南北線後楽園駅など

▼『写真と地図で読む帝都東京地下の謎』(洋泉社)によると、地下鉄ルートは地図によって「路線が交差しているもの」と「していないもの」とがあるという。地図の作成は国土地理院の特許であるが、発祥は陸軍参謀本部から独立した陸地測量部。戦前の地図製作は陸軍が担い、地図帳は機密扱いだった

▼戦前、海軍は霞ケ関に、陸軍は三宅坂に、武器工場は後楽園界隈にあって、いずれも軍事拠点とされていた。今もこの地の地下駅構造はベールに包まれている。通勤時は霞ケ関駅止まりによく出くわす。理由を問えば「車庫があり折返し運転するため」と。帝都や営団の文字は消えても地下の歴史は今も残っている。(本・MM)

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