コラム

2004/08/05

さりげない心配り(前・HM)

2004.08.05 【さりげない心配り】

▼筆者の妻の実家にはもうすぐ17歳になるオスの柴犬がいる。散歩と食事には目がなく毎日元気にしているが、人間なら90歳を超える老犬で、さすがに衰えの色は隠せない。たまに帰省した折りに著者も散歩に連れて行くが、車に気づかずに危ない思いをしたり、隣家の塀に上がろうとしてあごをぶつけたりする

▼こちらが心配して安全な道を歩かせようと綱を引くと、年寄り扱いが気に入らないのか決して言うことを聞かない。しかし散歩コースの中で、彼が自らチャレンジを諦めた箇所がある。1m近い高さの公園の石垣を駆け登ることだ。一瞬助走しようとする時もあるが、怖いのか走り出すことはない。こちらとしては安心なのだが、そんなとき彼の後姿はいつも寂しそうだ

▼その石垣にも1箇所だけ高さ30?足らずの場所があるので、ある日さりげなく誘導してみた。すると一瞬の躊躇(ちゅうちょ)の後、思い切ったように走り出しヒラリと石垣に飛び乗った。彼にとっては久し振りの登頂成功である。帰り道の足取りがいつになく軽かった

▼彼がこのとき珍しく筆者に従ったのは、恐らく「さりげなく」誘導したからではないかと思う。周りに気を使われていると感じるのは誰でも嫌なことだろう

▼近年、高齢者や障害を持つ人に優しいまちづくりが推進されている。バリアフリーと称し、やたら目につく押しつけがましい施設。本当の優しさではないのかもしれない。ふと手を伸ばした時ちょうどそこに手すりがあるというようなさりげない心配りが最も自然なのではないだろうか。愛犬との散歩で、相手の気持ちを考えることを教えられた気がした。(前・HM)

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