コラム

2004/09/09

2人の政治家、咢堂と木堂(本・MM)

2004.09.09 【2人の政治家、咢堂と木堂】

▼第一国会記者クラブに入会したのを機に国会近くにある憲政記念館を訪れた。今年で国会開設115年が経過したが、この高台には室町時代に太田道灌、江戸時代に加藤清正、幕末に井伊直弼が居住、明治時代に参謀本部・陸軍省が置かれ、昭和時代に衆議院所管となった場所

▼また、ここは後に憲政記念館に合併されたが、憲政に対する功績に報いるため尾崎記念館が建設されていた場所でもある。入口には「人生の本舞台は常に将来にあり」の尾崎の石碑が見える。尾崎行雄(咢堂・がくどう)は、衆議院議員当選25回、議員生活60年余、世界議会史上の長記録を打ち立てた。護憲運動の立役者であった

▼もう1人の中心人物と言えば、いわずと知れた5・15事件で「話せば分かる」を最期の言葉に青年将校に暗殺された、大正期の政党政治家、犬養毅(木堂・ぼくどう)がいた。日本人の知恵によって日本人による民主主義、いわゆる大正デモクラシーを咲かせた2人は「憲政二柱の神様」と称えられた。咢堂も木堂もともにペンネーム

▼スリークォーターから投げ込む160キロ級の剛速球で頂点に立ったのが浪商の怪童と呼ばれた同姓同名の尾崎行雄。左右に揺れながらうなりを上げ、低めを突くと「砂塵が舞った」とされる。投手尾崎の父・徳次郎さんは、尾崎咢堂を非常に尊敬していたため、子供に「行雄」の名前を付けた。1961年夏の甲子園で全国制覇し東映入りした

▼政治家・尾崎行雄を含め、議員歴30年以上に三木武夫、原健三郎、中曽根康弘、桜内義雄の5人がいる。咢堂が逝去して今年で50年。咢堂なら今の政治をどう動かしていただろう。(本・MM)

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