コラム

2004/11/13

書き倒れした俳諧子規(本・MM)

2004.11.13 【書き倒れした俳諧子規】

▼四国を旅した時に耳にした話である。俗に「京都の着倒れ、大阪の喰い倒れ」と云われるように四国にも似たような言い方が存在する。「讃岐の銭倒れ、伊予の建て倒れ、土佐の呑み倒れ、阿波の履き倒れ」である

▼確かに香川県は、次郎長の名代で森の石松が金比羅様にお詣りした金刀比羅宮を代表に、参拝者の数は多い。愛媛県は家の新築、修復が頻繁に行われるらしい。高知県は言わずと知れた四国1の呑んべい国。徳島は阿波踊りに見られる履物おしゃれと聞く

▼また、四国は野球王国でもある。その先駆者は、香川の高松商、愛媛の松山商、高知の高知商、徳島の徳島商である。4つの商業高校は各県内のトップ級の勝利数を誇り、実に甲子園通算勝利数は4校で今年の選抜大会を含め161回を数える。近年は明徳義塾、池田高、尽誠学園の前に「倒れ」とは言えないが屈しているようだ

▼「春や昔、15万石の松山かな」(正岡子規)。伊予のお遊びと呼ばれた「俳句」は明治初旬、俳諧子規を生んだ土地柄でもある。子規は日本に最初に野球を紹介し、松山に持ち帰ったことでも知られ、野球殿堂入りした。友人の夏目漱石が松山中学校に赴任しその体験を書いた小説坊ちゃんに因み、プロ野球球団を呼べる「坊ちゃん球場」を誕生させている

▼江戸の昔、松尾芭蕉は自然を詠い、小林一茶は生き物に愛情を注いだ俳句を残した。2人とも四国を訪れている。一般に物書きは書き倒れで、財産を浪費することはない。しかし子規は結核で36歳で亡くなる寸前まで、俳句と格闘し、「書き倒れ」の人だった。旅好きな子規の文学はほとんどが旅の表現であった。(本・MM)

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