コラム

2004/12/01

父が包丁を置いた日(長・EM)

2004.12.01 【父が包丁を置いた日】

▼母から10日ぶりの電話。例により孫の成長をつぶさに聞き取る定期連絡だ。これに加え月に1度は監査が入る。かえるの子じゃあるまいし毎度目しいことなど無いのだが、頻度は変らない。ひとしきり話し終えると父に代わると言う。「珍しいな」と思うや否や「店を辞めたよ。これからは年金で暮らそうと思ってるんだ」

▼父は中学を出てすぐに大工の見習いとなった。しかし「左利きだし向いてない」と親方に諭され、鉋(かんな)を包丁に持ち替えた。以来40数年、料理一筋に生きてきた。居間には額に入れられた吉永小百合の切り抜きと並んで、競技会で取った賞状が数枚飾られている

▼御多分に洩れず中学、高校と進む頃には膝を交えることも無くなり、怒鳴る父の脇を通り過ぎる日々。学校から処分を受けた時もそう。「兄ちゃんと同じだな。でも2人とも出来が悪くて良かった。片方だけじゃかわいそうだ」と呟いていたことを母から聞かされたのは、それから随分後のことだ

▼子供には子供だけの確固たる世界があり、父には重ねた苦労の数だけ伝えたいことがあった。相容れない一時が、互いにどれだけ永く感じたであろう。血を分けた親子ですらこの様。ましては建設業界等の受・発注者間の意識共有など夢物語なのかもしれない

▼「お疲れさん。今度はいつ来る」。語りかける言葉に「ありがとう」ばかり繰り返す父。じわり胸を締めつける感覚。と、受話器の奥からはち切れんばかりの大声で「わたしはまだ会社で使ってくれるって」。さながらホームドラマの終わりのような一場面は、母の繊細さのかけらも無い笑い声で幕を閉じた。(長・EM)

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