コラム

2005/01/08

劉邦が天下を取れた理由(本・MM)

2005.01.08 【劉邦が天下を取れた理由】

▼古代中国の漢帝国を樹立した劉邦(りゅうほう)には3人の賢臣がいた。軍事の韓信、軍師の張良、参謀の蕭何(しょうか)。彼らはよく現代の職務に例えられる。韓信は営業部長、張良は企画部長、蕭何は総務部長に

▼劉邦は「わしは軍を率いて戦いに勝つことでは韓信に及ばない。知略を尽くして敵を攻め落とす戦略では張良に及ばない。民を労わり補給を途絶えさせず、民を安心させることでは蕭何に及ばない」。劉邦は皇帝の位に就いて論功行賞を行ったとき「最高の功績は蕭何にあり」とした

▼しかし、営業部長は「汗水たらしてかけずり回り、売上げをあげたからこそ、会社が発展した」といい、企画部長は「企業戦略を策定し、宣伝も考え、会社のもつ戦力を100%以上に働かせたからこそ、会社の発展があった」と言い張った。総務の人間は会社の中に座っているだけで、何の利益も生み出していないではないかと批判した

▼確かに、総務担当の人間は、得意先の開拓をしたわけでもない。しかし、裏方で、営業や企画の社員たちが存分に働けるように、職場環境を整え、様々な雑用をしている。劉邦が「蕭何に最高の功績あり」としたのは、この「裏方の地味な仕事」が天下平定になくてはならないものだったことを知っていたからである

▼劉邦はライバル項羽と5年の戦いの末に勝利したが、当初は連戦連敗だった。いかなる猛将もどんな戦略家たちも、蕭何の途切れることのない補給なしには大きな功績をあげることはできなかった。劉邦は「わしはこの3人の英傑を見事に使いこなした。だから天下が取れた」と顧みたという。(本・MM)

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