コラム

2005/01/13

広島に大和ミュージアム(本・SY)

2005.01.13 【広島に大和ミュージアム】

▼太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった四杯で夜も眠れず。     嘉永6年(1853年)、ペリー提督率いる米国艦隊4隻が浦賀沖に停泊した。黒塗りの巨大な軍艦を目にした当時の日本人は「黒船」と呼んで大騒ぎとなった。冒頭の狂歌は蒸気式の船と煎茶の上喜撰を重ねている

▼鎖国体制の徳川幕府は大船の建造を禁じていた。このため日本の造船技術は欧米と比較して大幅に遅れた。この遅れを取り戻すため幕府自体が造船所を建設し、技術の習得に努めた。この成果があって幕末維新戦争の頃には幕府海軍は列藩よりはるかに強大となった。海軍強化策は明治政府にも引き継がれ、日清、日露の両戦争でさらに加速

▼20世紀に入ると、欧米の艦船はより大型化し、日本もその動きを追った。「大艦巨砲主義」という言葉が使われ始めたのも第1次世界大戦の頃からである。より強力な主砲を搭載し敵艦を撃破する。大戦後に軍縮会議が何度かあったが、巨大化の動きにブレーキはかからなかった

▼その中で建造されたのが空前絶後の巨大戦艦「大和」である。排水量約7万トン、全長263m。大和は第2次世界大戦末期に米軍の大規模な航空攻撃で沈められてしまったが、日本の近代化の集大成のひとつであるこの船を記念して「大和ミュージアム」の建設が広島県呉市の施行で進められている

▼平成17年4月にオープン予定の同館には10分の1サイズの大和の模型が展示される。模型と言っても、長さ26m。竣工間近の写真を見ると、戦艦大和そのものの印象だ。開館の4月は、その大和が3000名の乗組員とともに沈んでちょうど60年目にあたる。(本・SY)

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