コラム

2005/01/15

説明責任の重さ(さ・YW)

2005.01.15 【説明責任の重さ】

▼新聞社は巷間「ペンの持つ力」があるとされる。ひどい時は「ペンの暴力」や司法などに続く何番目かの権力とも言われる。よって誤報等は大きな問題となる

▼新聞は活字を通じて目的を果たすが、行政は国民へのサービスを果たすことが目的になる。行政サービスを果たす上でもっとも多く利用されるのは窓口でのサービスだ。そこでは当然言葉が重要になる。言葉による説明責任こそ重要なのだ

▼ところで、説明責任は充分に果たされているのだろうか。道路工事により至る所で交通渋滞が起こっている。苦情を行政は受けても、「申し訳ありません」と片づけられる。専門用語を並べろとは言わないが、冬季こそアスファルト舗装が良く固まり品質が保たれるといったことをなぜ説明しないのか。もし、そうしたことを説明すると「なるほど、だから多いのか」と理解してもらえる

▼ところが、国土交通省関東地方整備局の事務官はそのことを知らず、当時の道路部の職員も話すことが面倒で「謝った方が日本的で良い」と会話の中で言ったことを鮮明に覚えている。つまり、なぜ道路工事が多くなるかといったことの説明責任が果たされていない。これでは毎年国民から「またか、何をやっているんだ」の大合唱になるだけ

▼埼玉県草加市では工事の看板に必ず「同工事は合計金額○○○万円で1?あたりもしくは1mの単価は○○○円です」と明記している。これは市民に単価とコストを知らせ透明性と市民への監視を目的としている。説明責任を市なりの数字で示したと良い例である。公共事業では説明責任と透明性こそ最も重要なのではないだろうか。(さ・YW)

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