コラム

2005/01/20

村上が育んだ鮭文化(新・MS)

2005.01.20 【村上が育んだ鮭文化】

▼皇太子妃雅子様のご先祖様小和田新六(新潟県村上市飯野380番地)は村上藩の藩士であった。この村上の城下町の北側を流れているのが三面川である。1721年頃から三面川の鮭の漁獲が減少してきた為、藩士の青砥武平次が起用され鮭の増殖をはかった

▼彼は鮭の回帰性を発見し、川を三筋に分け産卵するための「種川」を造り、我が国初の自然孵化に成功。明治に入って人口孵化法を取り入れ漁獲高は更に増え1884年には73万7378尾を記録した。「種川」の鮭漁は旧村上藩士が経営しその子弟の教育費に当て、この恩恵に与かった子弟を村上では「鮭の子」と呼んだ。先の法務大臣稲葉修氏も「鮭の子」であったと言う

▼北海道や青森地方では鮭を「秋味」と呼び全国的にも広く知られているが、村上地方では古くから三面川の鮭を「イヨ」、「ボヤ」、「イヨボヤ」と呼ぶ。「イヨ」も「ボヤ」も広く魚を指す古語と方言であり「イヨボヤ」は丁寧な呼び方とされる

▼この塩鮭(塩引き)は北海道の新巻鮭と違い、腹は中央部を数センチ残して内臓を取り出し、塩を塗り頭を下につるし陰干しする。武士が切腹するのを忌み嫌い、腹は一部残すものと聞く。村上の伝統文化が育んだ鮭料理は百種類にも及ぶ。中でも「酒びたし」は農林水産業の産物及び加工品の「これが日本一」と言うお墨付きだ

▼1984年村上市では市制施行30周年記念事業としてサーモンパーク事業に着手、1987年イヨボヤ会館(日本最初の鮭の資料館)を開館。村上ほど愛着を持ち、鮭を守り育てようとの思いを持ち、独自の鮭文化を築いた地は他に聞かない。(新・MS)

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