コラム

2005/03/04

怨念か教育か討幕の原動力(本社・MM)

2005.03.04 【怨念か教育か討幕の原動力】

▼萩の名所はすべてが近場にある。観光はサイクリングに限ると云われるゆえんである。幕末の英傑を輩出した維新の里、山口県萩市を訪れた。関が原の戦いに敗れ、中国8か国から周防・長門2国に押し込められた毛利輝元が1604年に指月(しづき)山に城を築き、以後260年にわたり長州の藩都として栄えた街である

▼昨年開府400年を迎えた萩市は戦火に巻き込まれることがなかったために、当時の地図がいまも使える。椿と焼き物の里でもあるが、ことのほか歴史に名高い。吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋、田中義一らの生誕地や旧宅などロマンあふれる史跡が数多く残る

▼藩主毛利家は、毎年正月に徳川家の恨みを確認する儀式「関東の儀」が行われる。「(関東を攻めるべきか)殿、いかがなされますか」と家臣が問うと「まだ時期ではない」と断られる。それから200年。「殿、いかがなされますか」と述べると、「そうせい」(13代藩主毛利敬親=たかちか=)が了承した。これを機に討幕の火が烈火のごとく燃え上がった

▼一方、幕末志士たちの師となった吉田松陰は、軟禁の身で「自分の志をつぐ者を養成しておけば、いつかは自分の志は達成される」として人間学を中心に講義した松下村塾を開講、指導者を養成した

▼学問の神様『松陰神社』境内には有名な、死にのぞんで家族にあてた手紙「親思うこころにまさる親ごころ、きょうの音(おと)ずれ何ときくらん」(子供が親を心配する以上に親は子供を心配する)が『永別の歌碑』として刻まれている。10歳で藩主に兵学の教義をしてから20年目のことであった。(本社・MM)

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