コラム

2005/10/14

藤堂高虎にみる自己変革(水・KK)

2005.10.14 【藤堂高虎にみる自己変革】

▼戦国の世、裸一貫から織田、豊臣、徳川の三代を生き抜き、伊勢32万石の大大名にのしあがった藤堂高虎。サバイバルゲームの見本のような人物だが、一般的にはあまり評判は芳しくないようだ

▼若い頃から次々に主君を代え、浅井長政、阿閉義秀、磯野員昌、織田信澄など彼が仕えた武将は、その多くが滅び、最後には豊臣から徳川に乗り換えた。世渡り名人、ゴマすり大名との酷評もあるが、見方を変えれば、処世の達人、自己変革の人ともいえる

▼高虎は戦場で多くの敵の首を挙げた猛者。秀吉に仕えた頃、豊臣家には加藤清正や福島正則など賤ヶ岳の七本槍と呼ばれた戦上手がいた。「武功ではこいつらにはかなわない」と悟った彼は、築城技術に着目。伊賀上野、丹波笹山など数々の名城を築き、出世の武器にした

▼秀吉没後、高虎はいち早く家康支持を表明したが、彼の経歴から、簡単には信用されなかった。家康は、ほどなく病死した小早川秀秋以外、関ヶ原で寝返った脇坂安治、朽木元綱などの諸将をすべて改易してしまったほどだ。大坂夏の陣で徳川軍の先陣を志願して甚大な犠牲を払い、ようやく家康の信任を得た

▼厳しく難しい時代である。ここ数年で終身雇用、年功序列は崩れ去った観がある。さまざまな要因が考えられるが、物が足りなかった時代から、高度経済成長時代を経て、今は物余りの時代である。欲しい物もその価格もお客が決める時代に入ったといえるのでは。企業もそこで働く人も、時代の趨勢を見極め、絶えず自己変革を続け、自らの得意分野を見い出さなくてはならないだろう。今まで通りで万全とはいかないようだ。(水・KK)

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