コラム

2006/04/22

別れと出会いに添えて(長・EM)

別れと出会いに添えて

▼季節が秋から冬へと変わる頃に、学校のプールで1人泳いだことがある。もちろん好んででは無く、幾度もサボった授業の付けを払うため。何かと気に掛けてくれた体育教師の計らいだった。辛い記憶であるはずが、不思議と微笑ましく思い出すのは、過ぎた月日のせいだろうか

▼別れの3月、出会いの4月。娘はオムツとの決別に奮闘している。起床すると、並べられたキャラクター物のパンツから1つ選び、あわせて妻から「トイレの時は言うように」と訓示を受ける。「ハイ」と返事するものの、帰ってみれば朝とは違うズボンを履いていることもしばしば

▼これに限らず、自我の芽生えとともに妻の小言が増え出した。フキノトウのようにすぐ花を咲かすものでは無いから、涙の数も多くなる。適度なしつけは健全な「三つ子の魂」を育てるのに不可欠。問題なのは、飴役である筆者が、ここぞとばかり抱き寄せるのを振りほどき、ムチ使いの胸へ飛び込むこと

▼「昨日の敵は今日の友」と、昼夜テレビから流れる為政者やらM&Aやらの世界を真似ているのではあるまい。お昼寝、お散歩、下の世話。2人が重ねた損得無しの平々凡々な毎日は、いつしか揺ぎ無い信頼関係を築き上げた。羨ましくもあり、ありがたくもある

▼上司、部下、取引先等々、無限大に増えていく複雑絡みを持つ関係は、時に悩みの種となるもの。それでも信頼の裏付けがあれば、やがて必ず芽を出し、花開くものだ。この春の出会いはどんな実を付けるだろうか。幾年か後、巷を桜が彩る頃に、やんわりと思い出す。そんな風に、静かだが毅然とした関係となりますように。(長・EM)

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