コラム

2006/04/25

(甲・TN)

難しさケタ違い

▼映画「博士の愛した数式」が上映されている。このコラムが掲載されるころには、まだ映画館で観られるかどうかわからないが、時間があれば、映画館かDVDでぜひ鑑賞したいと思っている

▼映画は兎も角として、数学と言えばやはり学生のころは随分苦労した記憶がある。特に微分・積分と言えば、微(すこ)し分かって、分かった積もり−と表現されると、高校の数学の先生が言っていた通り、まるで問題が解けなかったものだ。話は少しそれるが社会人になれば、営業成績をはじめ会社の数字や時間という『数』に悩まされる人も多いのでは

▼先日、復習を兼ねて数学の入門書を購入した。その中でまず目を惹きつけられたのが、単位の話。つまり馴染みがあるようでないケタの数え方である。その単位がまとめられているのは江戸時代初期(1627年)に吉田光由によって書かれた日本最初の数学入門書『塵劫記』(じんごうき)

▼例えば一、十、百と続き、兆や京までは、大方の人はご存知であろう。しかしこれらの上には、垓(がい)、予(じょ)、壌(じょう)、溝(こう)などと続き、さらに、数桁上に行くと、恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祗(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議、無量大数(むりょうだいすう)などと無限大

▼逆に小さな単位では、一、分、厘、毛までは、プロ野球の打率でお馴染み。しかしその下は、糸(し)、忽(こつ)−などと続き、終わりのほうでは、六徳(りっとく)、虚空(こくう)、清浄(せいじょう)となる。なぜか今回は数学を復習するつもりが、漢字の勉強になってしまったが、初心貫徹である。(甲・TN)

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