コラム

2006/06/07

紙「10年後の私へ」(さ・HK)


▼配達ピザのチラシに紛れて、一通の茶封筒が投函されていた。紫色のペンで書かれた汚い文字が浮かんでいる。封を開けると中学生の私がいた

▼帰りのホームルーム、残りわずかとなった中学生活を謳歌する僕らを前に、新米の美智子先生は言った。「未来の自分へ手紙を残しませんか」。僕を初め「面倒だ」と感じた多くの男子は、拒絶反応を示したのだけれど、先生はうれしそうに用紙と封筒を配った。僕は反抗するのをあきらめ、隣の陽子から、ラベンダーの香りがするペンをクスねると黒板に書かれた綺麗な文字を封筒に写した。「10年後の私へ」僕は用紙に目をやり、未来を少し想像した

▼長い月日が経過した便箋は、色褪せていた。下手糞な大きな字で、1行綴っている。「夢見続けていますか」。思いがけない真っ直ぐな言葉に頬が熱くなった

▼映画に熱中した中学時代。1日1本、多い日で3本のフィルムを観ていた。黒澤やスピルバーグに度肝を抜かれ、角川映画で青春を知り、三谷幸喜、ウディ・アレンに大笑いし、黒木和雄やオリバーストーンに歴史を学んだ。映画は人生の教科書だった。そして大衆にとって、明日を生きる活力になるシネマを自分も創りたいと願った。15歳の僕はそんな夢を抱き、未来の私に語りかけたはずだ「夢見続けていますか」と

▼私は今、メガホンではなく、ペンを握っている。記録はフィルムではなくノートだ。事実をつかみ、情報を発信する記者の仕事。取材先での発見や出会いに夢を見る今の筆者を君はどう思うだろうか。「ペンとノートだなんて、今の僕と変わらないじゃないか」目を閉じると学生服の私が笑っていた。(さ・HK)

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