コラム

2006/08/31

記者は『話す』も大事(前・AN)


▼一般普及した高度技術の代名詞の1つとして挙げられるのが携帯電話。その中でもメール機能は非常に便利で、筆者も仕事以外ではメールを主として使用している。そのせいか最近では、携帯電話のボタン部分が壊れつつあるという悲しい現実が

▼『話す』という電話の機能よりも『書く』機能であるメール優先の理由には、通信料の安さと共に『話す』ということをしなくても用件が伝わるという手軽さがある。時間的な制約を受けている時などは尚更だ

▼食事に出掛け、メニューを見た友人が「この料理は食べれない」と発した。他の友人らは気に留めなかったようだが、筆者はとても違和感を感じた。いわゆる『ら抜き言葉』である。『〜できる』など、可能の意味で使われる場合にのみ「ら」を抜いて表現したもので、その是非については様々な意見があり、解釈が難しいとのこと

▼先日、運転中に誤ってテープレコーダーが作動し、車内の一部始終が録音されていた。後日気づき、聞いてみると車内を流れる音楽に合わせ口笛を吹いたり、鼻歌を歌ったりと恥ずかしい限りの行動が録られていた。携帯電話で同僚と話しているシーンでは筆者の『話す』言葉がデタラメで、違う意味で恥ずかしさを覚えた

▼このような職業にいることから、メール作成時などは、送信前に文章を何度も校閲したりと非常に神経を使う。しかし、自分が口にする言葉には、特別気に留めていなかった。記者は『書く』だけでなく『話す』の再認識も重要で、文章として残る言葉だけでなく、消えて無くなる言葉に対しても注意を払うことが必要だと痛感した。(前・AN)

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