コラム

2006/08/11

戦国武士の戦う論理(水・KK)


▼NHK大河ドラマ「功名が辻」を毎週楽しみにしている。山内一豊も苦労の末長浜2万石の城持ち大名に出世し、今後土佐一国20万石の国主へと登りつめるまで、いかなる人間模様が展開されるか大いに期待したい

▼戦国乱世の時代は100年も続いた。なぜ彼らは戦わなければならなかったのか。武田信玄の『甲陽軍艦』や長宗我部元親の『土佐物語』には「兵を多く持つのは合戦に勝つため。合戦に勝つのは国を広げるため。国を広げるのは家臣に知行を加増し立身させるため」とある。大方の戦国大名の論理だろう。さらには、家臣に不満を持たせないため、下剋上を起こす隙を与えないためにも戦い続けなければならなかった

▼家臣たちにも戦う論理があった。ひとつは「御家」つまり主家のためであったが、もうひとつは「家」のためであった。この場合、家族だけではなく、一族、一門も、まだ存在していない子孫までも含まれる。合戦では働きによっては恩賞が期待でき、立身出世につながるが、同時にに彼らは「家名」のために戦った

▼生き残るより死んでしまった方が、家名の存続につながることはよくある。名誉の討ち死ににより、子孫が優遇される。大河でも亀山城攻めの際、壮絶な最期を遂げた五藤吉兵衛の弟吉蔵は重臣に取り立てられ、子孫は明治維新まで山内家に仕えた

▼親が子どもを虐待したり殺したりという信じられないニュースが連日のように流れる。家族愛が希薄になってしまったのだろうか。合戦、戦争は決して肯定できないが、戦国武士の家族を、まだ見ぬ子孫を思い命を賭ける姿は大いに見習うべきではないだろうか。 (水・KK)      

厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら