コラム

2006/11/10

履修漏れ問題に思う(水・KK)


▼不思議な時代である。今まで見えて来なかったものが次々に現われてくる。全国の高校で卒業に必要な必修科目の履修漏れ問題が連日新聞の社会面を賑わせている。日々未履修校が増加の一途をたどりとどまるところを知らない感じだ

▼一部に履修漏れは約10年前から見られたとの指摘もある。補習で対応することになるそうだが、受験勉強が追い込みに入ろうとする時期、「受験に関係ない科目は妨げ」「先輩は卒業できて、何で自分たちだけ」ー彼らの戸惑い、憤りは当然だろう

▼注目すべきは東京などの大都市よりも地方に多く見られることだ。地域格差の拡大も要因に挙げられる。予備校があふれている都市部と違い、地方の進学校は予備校化することこそが対抗策だったのかもしれない

▼彼らと筆者との間にはちょうど30歳の年齢差がある。当時を振り返ると、難関大に合格した生徒はきちんとした生活態度だったと記憶している。深夜まで家で勉強して朝寝坊して遅刻したり、授業中寝てしまうことなどなかった。彼らの多くはクラブ活動にも熱心に取り組みメリハリのある日々を過ごしていた

▼今回の問題は生徒には責任はない。学校教育のありかたにこそ疑問が残る。受験に直結することのみに腐心するのはいかがなものか。履修漏れの対象になった日本史、世界史など大人になってからの教養として大きな財産になるものだ。一流大学を出ても、勉強しかできない人、教養のない人はつまらない人になってしまうのではないだろうか。子どもの成長には規律と統制が不可欠だと思う。学校は周囲の要請におもねることなく教育の原点を見直して欲しい。(水・KK)

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