コラム

2006/11/16

再読で出会った言葉(前・HM)


▼井上ひさし著の『四捨五入殺人事件』という小説を読んだ。10年以上も前に、確かNHKでドラマ化されたことがあり、筆者もその頃に読んだ。肩の力を抜いて読むことができる氏独特のユーモラスな作風が懐かしく再読した

▼物語は、ある温泉町を2人の作家が訪れるところからはじまる。折からの大雨で村に1つしかない橋が流され、村は陸の孤島に。そして起こる殺人事件。いかにもという設定だが、そこが楽しい。意外な結末も「驚愕」や「感動」という言葉より、「楽しい」と表現できる作品。読後感が良い

▼この小説の中に、こんな言葉があった。「百姓は他の人間にかわって米を作ります。靴屋は他の人間にかわって靴をこしらえます。(中略)となると、知識人の仕事は他の人間にかわってものを考えることではないでしょうかな」。これは、村でただ1人の医師が、作家に述べた言葉だ。当時は特別な感動もなく、読み過ごしていた

▼しかし「なるほど」と思った。確かに職業というものはそうしたものかもしれない。人間が今よりも原始的な生活をしていた頃は、「職業」という概念はなかっただろう。そのうちに、手先の器用な人は服や道具をつくり、体力がある人は猟をし、と役割分担ができてきた。これを生業としたのが職業だ

▼そう考えると、自分も何かしら世の中の役割の一端を担っているのだと思える。その役割を果たそうとすることが、仕事をするということなのだろう。自分は的確に自分の仕事をしているだろうか。自信を持って答えられるように、今日も自分にできることをがんばろうと思う。素直にそう思える言葉がそこにあった。(前・HM)

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