コラム

2006/12/08

国語教育に求められるもの(茨城・KK)


▼私事で恐縮だが筆者には高2と中2の子どもがいる。「日本語をしゃべっているのに、どうして国語なんて習わなくてはいけないの?」「読解力って何?」確かに、国語とはわかり難い教科ではあるだろう

▼筆者も学生時代、読解問題に疑問を持っていた。感じ方は人それぞれなのに、なにゆえ正解、不正解があるのか?と。例えば、「主人公の心情を説明しなさい」との設問に、人の心の動きは自由だから、受験者の数だけ正解があっていいはずだ。しかし一方で、○×のはっきりとした基準がなければテストとしてフェアと言えないことも確かだが

▼2002年に大論争の末「ゆとり教育」が導入されたが、2003年に経済協力開発機構(OECD)が実施したPISA(生徒の国際学習到達調査)によると日本の15歳の子どもたちの「読解力」が前回調査の2000年の世界8位から一気に14位にまで下落した。その報道を受け、ゆとり教育も今や風前の灯火となっている

▼PISAが求める読解力は?文章や図、表から情報を読み解く力?文章を批評的に読む力?それらを記述する力に集約される。端的に言えば、批評能力であろう。他人とは違う意見を述べることのできる個性である。グローバル・スタンダードは個性を求めるということなのだろうか

▼国語教育は他方で道徳教育の側面をも持つのでは。教科書の定番『こころ』『舞姫』などの作品は日本人としての道徳的教訓を示唆している。一方で画一的日本人を作り出すなものであってはこれから世界に通用する人材育成はおぼつかない。一見地味な国語だが、その担う役割は極めて大きいだろう。(茨城・KK)

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