コラム

2007/01/19

公共投資を考えることの意義(東京・UT)


▼指名競争か一般競争か。最低制限か調査基準か。総合評価方式に入札ボンド、地域要件の是非やJV問題など。平成18年は、近年まれに見る公共調達に関しての議論が盛んな1年だったといえるのでは

▼多くの関係者がこれだけ話し合った背景には、ダンピング受注や官製談合事件の多発など、公共工事発注に関連した「負」の問題が続々と浮き彫りになったことがある。対策を検討する過程において、国、地方公共団体、大手ゼネコン、地域の建設会社、有識者から、場合によっては一般国民に至るまで、各々の立場から考えを述べる機会が見受けられた。意見が正反対で対立することもしばしば

▼自治体における入札契約制度の改善など、結論が今後に積み残されているところも多くあり、これから意見集約しなければならない局面は多くあるはず。全員が満足する結論は難しいだろうから、最大公約数を探ってどう軟着陸させるかがポイントなのかもしれない

▼会社の規模や自治体の大小などに関係なく、少しでも携わっている立場であれば、公共調達について考え、意見を発信し続けること、議論を終わらせないことが大切なのでは。関係者が問題意識を持ち続けるという行為自体に価値があると思うのは、楽観的すぎるだろうか

▼「誤解を恐れずに言えば、50年100年という長期的な視点で国益を考えた場合、社会資本整備は十分に投資して、立派で頑丈で後世に誇れるものを造るべきではないか」。昨年聞いた意見のうち、個人的に最も考えさせられた言葉。財政難の時代にこうした考えが社会全体に共感を得ることは難しいが、考えること自体に損はない。(東京・UT)

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