コラム

2007/01/26

知られざる名家老(茨城・KK)


▼今年のNHK大河ドラマ『風林火山』が7日、始まった。過去、武田信玄など戦国武将を主人公にした時代劇は無数にあるが、今回は軍師・山本勘助の生き様がテーマ。トップを支える補佐役とはどうあるべきか。今後の展開が楽しみだ

▼江戸時代、「三百諸侯」と呼ばれた諸大名家にあっては、必ず「藩主」というトップがいて、それを補佐する「家老」が複数いた。忠臣蔵で有名な赤穂藩城代家老・大石内蔵助がつとに有名だが、他は一般的にあまり知られていないようだ

▼江戸幕府成立期の家老はいかに主家の立場を守り、確立させるかに専心した。関ヶ原前夜、石田三成方の人質となっていた主君黒田長政の母、妻を商人に変装して、大坂屋敷から救出した福岡藩家老・母里太兵衛は誠の「黒田武士」と称えられている。江戸時代も元禄年間以後になると諸藩は財政的に逼迫してゆく。家老たちは藩財政の建て直しにその手腕が問われることとなる

▼薩摩藩は天文学的な赤字財政に悩まされていた。徹底した浪費の防止、物産の専売化と琉球を介しての中国貿易で財政再建に導いた調所広郷。詳細な検地を行い、総石高53万石を表高(名目上の石高)36万石と幕府に報告、差額を臨時の支出に備えさせた長州藩の村田清風などは得がたい名家老と言えるだろう

▼明治維新で倒幕の主力を担った薩摩、長州両藩は豊富な資金力を持っていた。家老は原則、世襲制だが調所も村田も能力主義により下級の藩士から登用されたケースだ。それだけにしがらみにとらわれず思い切った策を打ち出せたのだろう。殿様よりも参謀にこそドラマありとも言えるのかもしれない。(茨城・KK)

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