コラム

2007/03/02

情熱が実った東海道新幹線(茨城・NI)


▼「台湾の新幹線」こと台湾高速鉄道は相当な難産だったと伝えられる。台湾では、日本の新幹線の技術を導入して「のぞみ」に似た列車を一昨年10月に走り出す予定だったが遅れ、年を2回もまたいでようやくスタート

▼車両は日本が生み出した新幹線技術を採用しているが、信号システムや土木工事面については日本と欧州が別々に施工した。台湾をめぐる国際情勢を反映してのことだが、その調整が遅れた。ところが日本の東海道新幹線はもっともっと難産だった

▼計画が始動したのは昭和30年、当時の十河信二国鉄総裁の鶴の一声だった。しかし、東京―大阪間に新たな路線を敷き、高速列車を3時間余りで走らせる計画を政治家や財政当局が簡単に認めるわけもなく、説得から着工まで4年の歳月を費やした。着工後も、約250キロのスピードに耐えられる様々な実験が繰り返され、なかには鳥が窓にぶつかる実験も行われた。次第に建設費が2倍に膨れ、十河総裁が責任をとり辞任した。営業開始するまでには、さらに5年の月日が経過

▼十河総裁の辞任から5年後の昭和39年「世界一の列車」が線路を走った。この誰もが無理だと考えていた夢列車を走らせたのは、十河総裁をはじめとする国鉄マンの熱い情熱の結晶に他ならない。当時の起工式の鍬入れで十河総裁の鍬が力余って先が抜け、参列者の前まで飛んだという話しもある。夢の事業に全身全霊を傾けていたことが想像できる

▼新列車のスタートで、台北―高雄間が1時間半に短縮された。普段、我々も快適な旅の少しの時間、「生みの親」たちの苦労と情熱を思い浮かべみてはどうだろうか。(茨城・NI)

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