コラム

2007/03/22

正しいようで正しくない事(群馬・AN)


▼先日、友人とともに近所でも評判の飲食店へ出掛けた。確かにその評判にウソ偽りはなく、楽しいひとときを過ごした。ところが隣のテーブルでのやりとりが聞こえてきた。「談合なんて皆やっていて、それは共存共栄のために正しいこと」

▼高視聴率を出していた某番組の中で、正しそうで正しくないものを題材とした企画があった。例えば「『ぐっすり』は『Good Sleep』が由来」や「ニュースの『NEWS』は『N(北)』『E(東)』『W(西)』『S(南)』からきている」など。その企画には納豆の語源もあった

▼納豆のねつ造問題は社会問題にまで発展し、筆者も恥ずかしながらその納豆効果に踊らされた1人で、納豆探しの旅を数日費やした。その納豆について学生時代「中国から日本に伝わった際、日本人が『納豆』と『豆腐』を間違って伝えたんだよ」と言われ、うなずきかけた次の瞬間「これは全くのウソ。でも本当っぽいでしょ」と

▼調べてみると、納豆の語源は、僧侶が寺院で出納事務を行う納所で造られ、豆を桶や壺に納めて貯蔵したことからきているとの説が有力で、日本には奈良時代に伝わったらしい。しかし、それにしても思わず「なるほど」と納得してしまうほど、うまく出来た話である

▼多くの『正しそうで正しくない話』はそれ相応の説得力があるが、正しくないものは正しくないのである。談合も同じく『話し合い』を行っている一部の業界側からしてみれば、正しそうであるに違いない。だが、それは法律違反であるから正しくないことである。その見極めを図るためにも本当の意味での『脱談合』が必要ではないか。(群馬・AN)

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