コラム

2007/04/02

連綿と継承したい日本文化(長野・YK)


▼昨年の暮れ、台北で剣道の第13回世界選手権が開かれていた。日本は準決勝で米国に破れ、第1回から続いていた連覇がついに途切れた

▼日本に勝った米国は決勝で韓国に2ー0で敗れ、韓国の初優勝となった。日本選手にとっては「勝たなければならない」という重圧の中で十分に健闘したが、日本剣道界にとっては「神永がヘーシンクに敗れた時と同じショック」といっても言い過ぎては無かろう。韓国に負けるかもーという予測はあっても、アメリカに負けると考えていた剣道人は少なかったはず

▼剣道のほか柔道や相撲は古くから日本人に親しまれてきた。しかし時の流れとともに世界各国へと広がり、柔道は『JUDO』になり武道からスポーツに、大相撲では東欧やモンゴル・韓国出身の力士が台頭する時代になった。そして最後の砦で剣道も敗れ、やがて『KOMDO』となってその主導権を韓国に持って行かれる可能性すらある

▼日本の武道が世界に広まることは決して悪い事ではない。だがJUDOのように武道の持つ本質を理解せずにスポーツ化し、勝敗にのみこだわってしまうのは如何なことかとも思う。また勝って当たり前と思っていたものが、そうはいかなくなってきた事実にも少し寂しさも感じる

▼今年は袋竹刀を発明し現在の剣道の礎を築き上げた上泉伊勢守信綱生誕500年(現・前橋市出身)にあたる。団塊の世代が離職する昨今しみじみと思うのだが、連綿と受け継がれてきた技術や思想は、大切に引き継ぎ、孫・子の世代までしっかりと伝えていかなければならない。(長野・YK)

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