コラム

2007/05/16

忠臣蔵は生きている(東京・SY)


▼東京都内を営業で回っていると、思わぬ場所に有名な歴史的事件の案内板がひっそり立っていることがある。中でもハッとするのは「忠臣蔵」関係のものである。「刃傷松の廊下」は現在の皇居内なので見ることはできないが、それ以外は結構散在している

▼まず、「浅野内匠頭終焉の地」は港区西新橋の歩道脇にある。当時は田村右京大夫の屋敷だった。現在は都内有数のオフィス街である。「風さそう花よりもなお我はまた春の名残りをいかにとやせん」。辞世の歌が東京都制作の案内板に筆字で書かれている

▼「赤穂浪士討ち入り」の吉良上野介屋敷跡は現在の墨田区両国付近である。当時は本所松坂町と呼ばれ、江戸が灰じんに帰した明暦の大火後の新興開発地だった。下って明治時代には「或る日の大石内蔵助」の作者芥川龍之介が少年時代を過ごした場所である

▼芥川はもうひとつ「忠臣蔵」と不思議な縁を持っている。生まれたのが現在の中央区明石町。彼の生誕地は浅野家の上屋敷跡と重なっている。この跡地内には、聖路加国際病院のキャンパスもある。ベストセラー「生き方上手」を著し、95歳を超えた現在も同病院理事長として医療の最前線に立つ日野原重明氏も「忠臣蔵」とは別の意味で人生を考えさせてくれる

▼港区高輪支所の隣接地に熊本藩細川家中屋敷跡がある。この屋敷は大石内蔵助ら赤穂浪士17人が討ち入り後お預けになった所。この跡地に当時の大きな椎の木が残っている。樹齢数100年と言われる古木である。見上げると、折から風を受けて葉がざわめいている。赤穂浪士たちはこの大樹を眺めて何を思ったろうか。(東京・SY)

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