コラム

2007/07/17

ただ一声の暖かさ(東京・YO)


▼最近、電車を利用し、移動する機会が増えた。座席で何気なく周囲を見ると、老若男女が携帯電話を手にしている様が実に多い。さすがに通話をしている人はいないものの、メールのチェックでもしているのだろうか、皆熱心に携帯電話をのぞいている

▼また電車の中では、耳にヘッドフォンやイヤホンを付け、音楽またはラジオを聞いている人も実に多い。自分では気づいていないのだろうか音が漏れている。周囲の視線もお構いなく、自分の世界だけに没頭している。不愉快な様である

▼朝夕の通勤時はさらに面白い。人でごった返す中、下車する駅が近づくと、黙って人ごみをかき分け進む人、「すみませーん、降りまーす」と一声かける人、千差万別。やはり一声かけられると明らかに気分は違う。多くの人が下車しようとするが、その場で立ち止まり、流れをさえぎる人も

▼先日、つり革につかまっていると前の人が席を立った。すると隣りに座っていた男性がその場所へと移動し、筆者の隣りで立っていた知り合いらしき女性に空いた席へ座るよう促した。ふたりで座り話しをしたいのだろうが、不愉快な気分になった。なぜ「すみません」の一声がかけられないのだろうか。男性を見ていると後ろめたいのか目が泳ぎ、まるで視線を合わせない

▼一方では、「どうぞ」と一声かけ席を譲る光景も何度か目にしている。とても微笑ましいし心が温まる。確かに声をかけるのは勇気がいる行為かもしれない。しかし、その一言が大切なのでは。車中に限らず、ただ一言でよい。普段のささいなコミュニケーションによって、人の気持ちは大きく変わるものだ。(東京・YO)

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