コラム

2007/10/12

児童書から見えるもの(茨城・KK)


▼ここ何年か夏目漱石、森鴎外をはじめとする日本文学、「少年少女世界の名作」といった子供向けの本を読んでいる。せんえつながら、今までいろいろ読んできたが、やはり古典にまさるものはないとの思いからだ

▼先日、長年探していた物語がようやく見つかった。40年近く前、国語の教科書で読み、もう一度手に取ってみたいと思っていた作品だ。ルーマニアのフランチスク・ムンテヤーヌ著『一切れのパン』

▼主人公であるルーマニア人「わたし」は敵国人としてナチス・ドイツに連行される。大勢の同胞とともに貨車に押し込められたわたしは、ユダヤ人の「ラビ」という老人と知り合う。車両の床板をはがして脱走を試みた時ラビも同行を望んだが、わたしは「ユダヤ人のあなたが捕まればそれこそひどい目に遭うでしょう。ルーマニア人として捕虜になっているほうがはるかに有利ではありませんか」

▼ラビは忠告のお礼にと小さいハンカチ包みをわたしに差し出した。「この中にはパンが一切れ入っています。でも包みを開けずにできる限り持ち続けるのです」。以後ドイツの歩哨との遭遇、疲労、眠気、耐え難い飢え…度重なる危機を乗り切る青年の姿がスリリングに描かれる。やっと我が家へたどり着いたわたしは妻に「これがぼくを救ったんだよ…」ハンカチからぽろりと床に落ちたのは一片の木切れだった

▼子供の情操教育のためとされる児童書だが、今改めて読んでみると、見えてくるものがある。「善人が損をするのは善良だからではなく、世間を見る目が甘いからだ」ー児童書は正しく生きるよりも賢く生きるための大人の処世訓かもしれない。(茨城・KK)

厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら