コラム

2007/10/17

日光東照宮と明智光秀(群馬・AN)


▼先日、愛車で栃木県にある日光東照宮を訪れた。道中、車窓から見える豊かな自然は格別で、今年は例年より遅れそうだが、これからは紅葉を楽しむ多くの人々で賑わう

▼この日光東照宮は、徳川家康を奉祀し創建されたもので、現在の豪華絢爛な社殿群は3代将軍家光により建立。これらの建造物は江戸初期の名工、技術集団の手により生み出されたものであるが、建立については3代にわたり、幕府の知恵袋として君臨した南光坊天海の意向が大きいと伝えられている

▼天海僧正の出生は不明な点が多くあることと同時に、ある戦国武将が成り代わったのではないかとの説がささやかれている。その人物とは、織田信長を討ち取った明智光秀である。光秀には『主殺し』『3日天下』などの代名詞が必ずつく。しかし、豊臣秀吉との戦いに敗れ、伏見の山中で武者狩りに遭い絶命したのではなく、江戸時代まで生き延び、天海になったのではないかなどの諸説もある

▼根拠としては、日光に『明智平』という地名を残したことや日光東照宮内に明智家の家紋である桔梗紋が徳川家の家紋とともに描かれていること、『光秀』という文字を2代将軍『秀忠』と3代将軍『家光』へ1文字ずつに分け名付けたことなど『光秀=天海』の妥当性が示されている

▼戦国の世で、人として波瀾万丈の人生を強いられた明智光秀ほど謎に満ち、歴史的興味を駆り立てられる人物もそう多くはない。筆者自身も「歴史上で1番好きな人物は」と問われると「明智光秀」と必ず答える。もし『光秀=天海』でないとしたら、世界遺産の日光東照宮はこの世に生まれなかったに違いない。(前橋・AN)

厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら