コラム

2008/04/25

教育の先駆藩・薩摩(茨城・KK)


▼幕末、欧米列強に対抗すべく殖産興業に励み、また多くの維新の志士を輩出した薩摩藩。その雄藩・薩摩を強力なリーダーシップで率いたのが今年のNHK大河ドラマ『篤姫』でもおなじみの島津斉彬。幕末の殿様の通信簿を付けるとすれば、三百諸侯随一と誰もが認める偉大な名君だ

▼黒船来航の難局に藩主の座に就いた斉彬は、洋式造船、反射炉・溶鉱炉の建設など藩の富国強兵を進めるとともに、幕政にも積極的に進言した。人の才能を見いだす能力にも秀でており、西郷隆盛らを育てたことも高く評価されているが、彼の進取の精神は曽祖父・8代藩主島津重豪(しげひで)の影響を強く受けたと言われる

▼「島津家中興の祖」と言われる重豪は海外の文化に旺盛な興味を示し、西洋学問を取り入れ、自らも外国語にも精通。藩校・造士館を設立し、天文台、医学院も建設。書物の編纂を藩の事業にするなど、薩摩の近代化を他藩に先がけて着手した。型破りな個性の持ち主で、江戸後期の織田信長と評する向きも

▼斉彬や重豪には知名度で遠く及ばないが、もう一人隠れた名将がいた。戦国時代初頭の武将・島津忠良。人心の荒廃を憂えて、教育を重視し「郷中(ごうじゅう)教育」と呼ばれる学校制度を創ったと伝えられる。戦国の世に大変な先見性だが、特筆すべきは武士のみならず、領民すべてを対象としたことだろう

▼徳川将軍家はじめ日本中が惰眠を貪っていた時代に、薩摩島津家はいち早く世界に追いつけ追い越せと歩み始めた。戦国期から一貫して島津家の当主は英明な人物を輩出している。やはり原動力は教育ということだろうか。(茨城・KK)

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