コラム

2008/05/14

五輪と政治と宗教(埼玉・YW)


▼8月にいよいよ北京五輪が開催される。しかしチベット自治における中国の弾圧と呼ばれる掃討作戦などに対して、一部の欧州首脳は開会式辞退を宣言し、聖火リレーはまるでデモ騒動を超えた喧嘩になっている

▼テレビなどで五輪は政治とは無関係なスポーツ祭典であることを強調する。しかし、一方でそれは理想であってやはり政治と離しては語れない。ベルリン大会はヒトラーの権勢を示す大会であって、ミュンヘン大会は大会中にテロがあり、選手が射殺されているし、日本は記憶に新しいところでモスクワ五輪をボイコットしている。貧困と宗教、政治が複雑に入り交じった結晶がオリンピックであったと言っても大げさではない

▼そんなさまざまな思いが交錯している五輪で、宗教、人種、国境を越えた素晴らしい施設として伝えられているのが1992年のバルセロナ五輪の水泳会場だ。あの岩崎恭子選手が金メダルを取って「人生で一番うれしいです」と15歳の彼女が感涙にむせんだあのプールである。水泳会場とその広場は一体的なデザインとなり、磯崎新氏がコンペで設計を担当した

▼筆者は広場の前に立つと、確かに宗教と国教を越えた施設だと感動したものだ。それは正面から見ると、日本のお寺の外観で、広場のモニュメントや椅子は、なんとお線香が煙を巻いているイメージで設置されている。広場の中にいると分からないが、少し離れて道路の手前から見ると分かるのだ

▼スペイン人曰わく、「建築家としての能力だけではなく日本人の宗教心、心を選択したのです」と。平和と心は忘れてはいけない。政治も原点に戻らないといけない。(埼玉・YW)

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