コラム

2008/07/14

公平より曖昧を好む文化(埼玉・YW)


▼オリンピックに向けて予選を兼ねた大部分の大会が終えた。先日、陸上日本選手権をテレビ見て改めて、標準記録突破をしないとこれまでの実績があったとしても選ばれないという、公平・平等な分かりやすいルールの良さを感じた

▼いつも柔道やマラソンで誰が代表になるかでごたごたするのがお家芸。人気や過去の実績を考慮し逆転で選出され議論が勃発する。全米選手権では自動的に3位に入らないと補欠にまわり、世界記録保持者が当日100mで4位になり、リレー要員にまわったことがある。自由と平等、チャンスの国であるからこそルールは明確でないといけない

▼それに対してわが国は、スポンサー、つまりテレビ放送することで協会が金銭感覚で3回もマラソン大会を行い、当日の気候条件で有利不利が鮮明になる種目でありながら複数行うという愚かさを繰り返す

▼まだある。夕刊紙にはバレーボールの予選がなぜ日本だけで行うかということで、メキシコ出身の協会長が日本での放映権などのスポンサー料金が魅力だということを報じていた。つまりスポーツ云々より金勘定で大会方式が決まるということでもある

▼しかし、アメリカのようにスパッとしたルールを嫌い、足して2で割る世界基準で見ると悪い意味でのバランス型を好むのが、島国根性の特性かもしれない。むしろ曖昧さは人を傷つけず、日本式の思いやりではないかとさえ考えられる。だからこそビジネスでは欧米に信頼されていないのだが。ドライでラジカルな意見や物言いの人は欧米では拍手され、日本では引いてしまう。選手選出方法も曖昧さを好む文化の象徴だ。 (埼玉・YW)

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