コラム

2008/12/10

税金論議が根幹(埼玉・YW)


▼恋愛、食料などを筆頭にその他恨みを買うものは数知れない。しかし究極には金銭および物欲、多少うがった言い方をすると「税金」とでもなるだろうか

▼税金における究極のペナルティーについて先日あるテレビ局で議論する番組があった。有名な経済評論家と有名大学の教授によるものだが、「アメリカは消費大国で良く言うと内需を引っ張っている」と。しかしマネーゲームが好き、カード社会で貯蓄は1世帯あたりゼロであるとのこと

▼わが国は個人の貯蓄率は高いが、景気との脈絡はないとのことだった。アメリカは貯蓄にいそしみ、景気に協力しなかった?人達には究極のペナルティーとして相続税がかかるとの結論だった。相続税は、重税感がある。何故なのかと不思議に思っていた矢先に「それは究極の罰として子や孫に罰を代わりに与える」意味が込められているとし、両学者が頷いていた

▼つまり消費しないことは罪であり、子供らにツケがまわるという趣旨が相続税なのだ。ただ、そのアメリカも「身の丈にあった生活をすべき」と教会が信者に説いて回り、貯蓄の良さを推奨している。その代わりに沈んだアメリカ経済が内需も冷え込みまさに景気は悪化の一途だ。消費についての良し悪しはどうなのか、そのバランスは個人の問題なのだろう

▼ただし、個人の問題にしてはいけないのが税。古代ギリシャでは市民の代表が広場で税の使い方などを議論したそうだ。これが政治、国家のスタートだと言う説もある。つまり税の分配とあり方こそ究極の政治である。わが国民は筆者を含め税に対してもっと厳しい姿勢が必要ではと感じる。(埼玉・YW)

厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら