コラム

2008/12/11

携帯電話普及の是非(山梨・OS)


▼いまや世界中どこでもつながるものになりつつある携帯電話。番号さえ交換しておけば、いつでも本人と直接連絡をつけることが出来る。便利であることは間違いない。かければ、ほとんどの場合目当ての人が出る

▼携帯電話が普及してきたのは筆者が25歳頃だったろうか。それまでは連絡手段と言えば一般電話が主流だった。学生時代、好きな女の子が実家に住んでいると、連絡を取るときに、彼女の父親が出たら何て言おう、失礼無くスムーズに取り次いでもらうにはどう言うのがベストだろうかーなど、それなりに考えてから掛けたものだ

▼取り次いでもらうのは面倒で恥ずかしくはあったが、今思えば、そんなことから目上の人との話し方や礼儀を学んだような気もする。そんなことでもなければ、「夜分遅くに恐れ入りますが…」などという言葉を中学時代に使うことはなかっただろう

▼携帯電話は、筆者から彼女の親、そして彼女の親から彼女へとつながれたコミュニケーションを、筆者から彼女という最短距離にした。確かに手間は省けるし、事は足りる。しかしそれによって、筆者から彼女の親、そして親から彼女という2つのコミュニケーションの機会を奪ってしまったとも言える

▼色々なタイプの人と接していくうちに人は成長し、同時に人間関係のやりくりを学んでいくものだとすると、離れた場所から好きな人とだけコミュニケーションを取れる携帯電話の普及は、そういった勉強の機会をなくしていっている気がする。不便さを削り取って便利さを追求する方に人は目を向けるが、削られた不便さの中に人と人との大切な触れあいがある。(山梨・OS)

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