コラム

2009/01/08

活字のもつ強さ(群馬・HM)


▼取材でよく「活字になると困る」と言われる。記者にとってこれは非常に困る。「活字になると、もう決定したような印象になる」と言うわけだ。「決まっていないところは未定と書けばいいでしょう」と思うのだが

▼記者としては大きな記事になればなるほど、ある程度方針が決まっていれば書きたいものだが、取材された側はそうは思わない。確かに活字になると印象が変わる。こちらとしては微妙なニュアンスも含めて書いているつもりでも、紙面上で見るとそれが伝わりづらい。だから記事になることに抵抗を持つ

▼逆に「活字になるといいよ」と喜ばれることも多々ある。表彰やボランティア活動など企業にとってプラスのことを記事にしたときにこう言われることが多い。紙面の切り抜きをなどを額に入れて飾ってあるのを見るにつけ本当にうれしくなるものだ。良くも悪くも活字の持つ「強さ」なのだろうとつくづく思う

▼思わず気になったのは「活字」という何気なく使っている言葉。どういう意味なのか。手元の辞書を引いてみると、活字は「活版印刷に使う字型」と出ている。今度は活版印刷を引いてみると、「活字を並べた活版による印刷」というような意味が出ている。どうもよく分からない

▼書き手である筆者としては「活きている文字」と考えたい。毛筆と違い、個性のない横並びの文字だが、それが紙面上に並んで意味を与えられたとき、読む人に強い印象を与えるのだ。1つひとつの文字が活きているからだと思いたい。今年の干支は丑。牛のように急ぎすぎず、1文字ずつ活きているのだと自覚しながら書いていければいいと思う。(群馬・HM)

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