コラム

2009/03/11

高さへの憧れと経緯(埼玉・YW)


▼12年前、呆然と一枚の絵に圧倒され立ちつくした。ウィーンの美術史博物館にあるブリューゲルの「バベルの塔」を見上げた時の感想だ

▼筆者はフランダースの犬のネロとパトラッシュが最後に教会で「キリスト降下」を見て死ぬのをテレビで見て、その絵を見るためにベルギーのアントワープに足を運んだ、また、モナリザを見るべくルーブルにも行き「こんなものか」と感じた程度で、特に圧倒はされなかった

▼圧倒させたのは絵の大きさではなく、人間の欲望で天高くそびえ立つ塔をつくり、神をもしのぐという壮大な野望を感じたからだ。そして、ことの経緯は無惨にも、無秩序に人々は散っていく寓話の一貫性を、絵でなんとなく理解できたからに他ならない

▼バベルの塔をなぞらえ、さまざまなバブル期に建設した施設をバブルの塔などと揶揄(やゆ)し、無駄の象徴のように人々は流布したものだ。私見として、失敗は恥ではない。挑戦し失敗した後、今後どのように改善して努力するかということが大事である。バベルの塔のように人々が散り散りになり無惨なものとなり、神に立ち向かったから神が怒ったで終わってはいけない

▼また最近、マレーシアのタワー、ドバイのタワーなど高層施設はまるで人間の究極の挑戦のように捉え、高さ競争=世界ナンバー1みたいな風潮が再び発生し加熱している。ドバイでは世界から集まった労働者は現場ストップとともに首切りが行われている。これも神の怒りなのだろう。古来、高さへの憧れはある。しかし「足元を見ろ、現実を見ろ、身の丈にあった計画を行え」と言っているのではないだろうか。(埼玉・YW)

厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら