コラム

2009/03/19

なんでも見透かす猫の目(群馬・HM)


▼猫好きな人ならば、あのすべてを見透かすような猫の眼差しと言われればピンとくる。ふと視線を感じて振り向くと猫がこっちをじっと見ている。なにやらこちらの行動、考え一切合財を分かっているかのよう。それでいて感情を込めない目

▼筆者の家にも平蔵という名の愛猫が一匹おり、普段は可愛くて仕方がないのだが、冷蔵庫や食器棚の上からジーっと見下ろされた時などは、自分の心の動きどころか、頭の中身が完全に見透かされているような気がして少しこわくなる

▼この猫の眼差しを上手に利用したのが、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」。これは猫の視点から人間の世界の矛盾や愚かしさ、おかしさを皮肉りながら見事に表現している。猫好きの人なら読んでいて、つい頬がゆるんでしまうようなシーンも多い一方で、なるほど慧眼と感心してしまう鋭さを持っている

▼この小説、猫の目線というのは実は世の中の目のことを言っているのではないかと思う。見ていないようで案外周囲は自分を見ている。逆に言えば常に誰かに見られていることになる。そういった情況を猫に置き換えているのではないだろうか

▼そう思うとちょっとこわいようだが、そう考えることも大切ではないだろうか。自分ひとりでいるとどうしても手を抜いてしまうこともある。そんな時、どこかで誰かが見ていると思えば、ズルはできないし逆に一生懸命やろうと思える。ちゃんと見ているのだからちゃんとしなさい―と猫の目は語っているのかもしれない。「何もかも知ってをるなり竈猫(かまどねこ)」。最後は、ある本で出会ったこんな俳句で締めてみたい。(群馬・HM)

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