コラム

2009/04/16

慟哭は偏見を洗い流す(長野・EM)


▼地方紙の共同通信配信連載に引用されていた詩に、心を揺さぶられた。5年前に北朝鮮を脱出した詩人・張真晟(チャン・ジンソン)氏の「私の娘を100ウォンで売ります」。餓餓の深刻だった10年前に平壌市内で目撃した光景を素材にしたもので、100ウォンは当時のコメ約1・2キロの値段―と説明が添えられていた

▼口の不自由な女が「私の娘を100ウォンで売ります」と書いた紙を首にさげ、傍らに幼い娘を置き、立っていた。罵倒されても、娘が「母さんが死の病にかかった」とわめきすがっても、女は涙を流さなかった。見かねた軍人が100ウォンを与えると、女はその金を持ってどこかへ走っていった

▼そして、こう続く。『彼女は母だった/娘を売った100ウォンで/パンを買って慌てて駆け寄り/別れる娘の口に入れ/―許してくれ!慟哭していた』。「大量の餓死者の状況があまりに知られていないので、その真相や、それを生み出した暴政も告発したかった」。張氏はそう語ったという

▼「落札率90%以上ならば談合」などと決めつける無責任な批評。加えて公共事業不要論。重層構造の中、安い賃金で、時に危険と向き合いながら働く人々は、現状に憤まんやる方ないであろう。まして供給過剰時代しか知らない若い従事者であればなおさらのこと

▼折りしも世界的な大不況を背景に、内需を喚起するため積極的な財政出動が具体化しつつあるる。建設業界は今こそ、労務単価の改善や歩切りの根絶といった正当な要求を、一層高らかにうたう絶好の機会である。慟哭は、偏見を洗い流す力であると確信してやまない。(長野・EM)

厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら